大衆明治史 下

禁書の一つである、大衆明治史の下巻を読みました。

以下抜粋しながら書きました。

奉天開戦

児玉大将

早朝に起きて、東天を祈るを常とした。

或る人がその理由を尋ねると、

『人事を尽くして遺憾はないが、更に太陽に向かって加護を乞うておるのじゃ』と率直に答えたという。

東郷大将の戦況報告文

此の対戦に於ける敵の兵力、我と大差あるにあらず、敵の将卒も亦、その祖国の為に極力戦闘したるを認む。而も、聯合艦隊が能く勝を制して前記の如き奇蹟を収め得たるものは一に天皇陛下御稜威の致すところにして、固より人為の能くすべきにあらず。特に我が軍の損失死傷の僅少なりしは、歴代神霊の加護によるものと信仰するの外なく、さきに敵に対して勇進敢戦した麾下将卒も、此の成果を見るに及んで、唯感激の極言う所を知らざるものの如し

本の最後に、

明治逝く

半世紀にも満たない僅かな時代に、日本は真に目覚ましい発達をとげた。

この愕くべき進歩の動因は、不世出の英主にてましましたる 明治大帝を中心に、国民が真に挙国一致の団結の下に、勇往邁進したる 明治の精神 に帰することが出来る。

指導者も優れていた。彼等の眼光はつねに世界の大勢を洞見し彼等の精神はいつも美事な調和を示して、凡そ極端に流れるということはなかった。外国文化を摂取するのに急であっても、日本の伝統精神がいつも基調をなしていた。

国民も勿論、進歩するだけのよい素質を沢山持っていた。偏することのない物の観方、あくまで進取敢為の精神は、明治全時代を通じて、どれくらい活気ある場面を展開したかしれない。

もちろん明治史にも未熟さもあるし、悲しみ、焦燥もある。しかし、外国が200年から300年もかかってやったことを、僅か50年にして追い着こうというのであるから、それは恕すべきであろう。

抜粋以上

いろいろな見方はあるのでしょうが、

欧化政策をとりながらも、伝統の日本の精神は失わなかった。

それが、大東亜戦争後に日本精神を失ってしまった。

で、現在に至る。

大いなる何かに感謝☆

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