枯渇感

以下 執行草舟氏のYouTubeチャンネルから、

文字起こしのような感じで記録させていただきました。

人としての生き方を絶えず自分に問いかけているかどうかが、

勝負になるわけ。

肉体って言うのは物質だから、食べ物を食べなきゃダメ、

魂も次々に魂の糧を食べないと魂って枯渇しちゃうの。

魂とは何かというと、人間の人間たる謂れとして、

母の胎内に宿るもの。

この魂にも糧を毎日与えないとダメ。

この糧を昔の人は、神の言葉といっていた。

今流でいうと、良く読書をして、

人間としての生き方を自分に問い続けるということなんだよ。

だからこういう生き方をしていていいのだろうか

おれの仕事は今日も一生懸命やったけれど、今日の仕事はこれで本当に良かったんだろうか。

問い続けていれば魂はある。問い続けていなければ魂はない。

人生の意味を問い続けていれば魂はある。

もうこの家庭でいいと満足してしまえば、魂は捨てたことになる。

今の家庭でいいのだろうかと問い続けれ魂はある。苦悩。。。

色々偉い人たちの言葉を嚙みしめて、

夜一人で本を読むとか。そういうのが、魂の食べ物を食べているってことなんだよ。

これは毎日食べないと枯渇していくというのは、肉体と一緒なの。

枯渇感とか問い続けることをやめちゃって、現状で満足今のままで良いとなったら、これを家畜化といっているわけ。

マスコミの言っていることを信じて本当にいいんだろうか。

オレはこんなことをしていて良いんだろうかと思うのが魂だと言っている。

枯渇感だよ。

哲学を読み、文学を読み、真の生き方は何か、愛はどうやって実行するのか、義とは何なのか、信とは何か、そういうことを考え続けること。これが魂。

そういう生命活動

枯渇感って生命活動だから。

この生命活動を失ったら、家畜になるということだよ。

だから、生命活動を持っていれば少なくとも野生動物でいられるわけだよ。

魂も肉体も全く存在としては同じものだと思っておいたほうが良い。

魂も毎日糧を食わなければダメ。

魂を失わないために毎日繰り返す。

創業の魂。

毎日思い返さなければ歪んでしまう。

それほど肉体を中心とした物質社会というのは強いってことだよ。

だからその物質に流されないためには、自分の目に見えない魂には、

毎日その志を毎日注入し直さなければならないということだよ。

真の自由を求めているのが野生動物だから、

これが人間の一番の理想だから。

自由とは何か。

おれは本当に自由な人生を生きているのか。

自由とは何なのかということも考え続けなきゃダメなんだよ。

自己固執にならないために、

働きながら考えなければならない。

実際、勉強もし運動もし働きながら、

働いて流されるんじゃなくて、

考えるんだよ。

そうして肉体と魂の両立が成せるわけだよ。

社会活動をしていないとだめになってしまう。

金を稼げ!社会活動をしろ!

お金を稼ぐってことをやめてしまうと、今度は魂の方に固執していっちゃう、これは問題。

この両立したものが、生命と呼ばれるもの。生命の躍動が人生

生命の躍動=自由ということだから。

死ぬまで生命が躍動していなければダメだってこと。

この生命の真なる躍動が真の自由ということが分かるようにならなければだめ。

家族がいる場合、本当の家族とは何のか

問い続けなければならない。

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